「自らを創造する者」は、神になる。
YouTubeを、約10か月ぶりに再開した。再開にあたって選んだのが「リメイク」という形です。昔の自分の動画を見直して、今の私の目で「これは今の人にも届けたい」と思うものを選び直し、出し直す。
作業をしながら気づいたのが、作り直しているのは動画だけではなく、私自身が、作り直されているのだということです。
今回リメイクした動画のテーマは「自分軸」でした。そこで今日は、その少し先の話を書いてみようと思います。「新たな自分をつくる」ということについて。
「新たな自分になりたい」と思ったとき、人はだいたい二つのことをする。ひとつは探すこと。自分探し、という言葉が流行った時代があった。本当の自分はどこかにあって、今の自分は仮の姿だ、という。もうひとつは足すこと。自己肯定感を上げる、自信をつける、新しいスキルを身につける。どちらも一見、前向きだ。
でも、長く人の相談を受けてきて思うのは、どちらの方法でも「新たな自分」「本当の自分」には辿り着かない。
探すほうは、見つけるべき完成品が最初から存在する、という前提に立ってる。足すほうは、肯定する「自分」そのものが曖昧なまま、肯定感だけを積み上げようとする。土台のないところに積んでも、ただ崩れてしまう。
私の思想の核にあるのは、文芸評論家・小林秀雄の考え方だ。彼は、個性とは生まれつき備わったものではなく、生きていく中で獲得していくもの、という考え方をしていた。つまり「自分」とは、どこかに完成品として眠っているものではない。世界とぶつかり、考え、間違い、修正していく運動のなかで、何度でも生成されていく。
だから「新たな自分をつくる」の作り方は、探すでも足すでもなく、「削ぐ」。
私の好きな言葉で、Moyocoyotzinというものがある。Moyocoyotzin(モヨコヨツィン)とは、自らを創造する者。アステカ文明のナワトル語(Nahuatl)に由来する言葉。 本来のアステカ神話において、至高の神である「テスカトリポカ」の尊称の一つとして用いられていた。
私たちには、他人軸で生きてきた年月のぶんだけ、偏見や刷り込みや「こうあるべき」が分厚く貼りついている。世間に迷惑をかけてはいけない、価値がなければ、勝たなければ、空気を読まなければ排除される。
従来、日本を構成する男社会はそのように出来上がっており、これまでの人たちはそうやって生き延びてきた。ただ、その皮を玉ねぎのように一枚ずつ剥いでいかないと、芯は見えてこない。自分の価値観を日々「答え合わせ」して、間違っていたら間違っていたと認めて、研磨していく。
頑固に「私は正しい」と言い張る人ほど、弱い。自分と向き合えていない。間違いを認めることは、自分を否定することではない。自分を作り直す、ということだ。
そして「自分をつくる」には削ぐだけでは足りない。剥いだ場所には、新しいものが入れることができる。大量の本、映画、難しいと感じるものや、分からないと感じるものに触れること。心から「かっこいい」と思える人、しびれるような存在に出会うこと。そして、感じたことを言葉にしてみること。
削ぎながら入れ、入れながら削ぐ。その往復の中でしか、自分は生まれてこない。
新たな自分は、一度完成して終わるものではない。何度でも作り直せ、作り直している限り、それが「自分」ということなのだ。私自身が、今まさにその最中にいる。
変わりたいのに変われない、と感じている方がいたら、探すのをやめて、足すのをやめて、まず一枚、剥いでみてほしい。そこから始まります。
▼この話の動画版はこちら
自己肯定感を上げても『自分軸』は身につかない理由
https://youtu.be/NJNhl2_oGTo
♢無制限 LINEコーチング
詳細・お申し込みはこちら
※定員に達し次第、キャンセル待ちとなります。
♢公式LINE
ご登録はこちら
※無料イベントなどはLINEへお知らせしますので、ぜひご登録ください。
すでに登録済みの方は こちら