社会に殺されない生き方
ここ最近何を見てもあまり心が動かなくなった。強くなったのか、はたまた麻痺をしているだけなのか。
理由はなんとなくわかっている。
最近、昔感動したアニメを見返している。今はサイコパスを観ているが、そこに出てくる「ユーストレス欠乏症」という病がある。
シュビラシステムによってすべてのストレスをケアされた人々は、あらゆる刺激を感じられなくなり生きる意欲そのものを失い寝たきりになって最終的には死亡する病だ。
人が健全に生きるためには多少のストレスは必要というわけだ。
今の日本社会も似たような世界観になってきている。
退職する時でさえ自分で言わず、代行サービスを使って辞める人も少なくない。パワハラなどの事情がある場合は理解ができるが、辞める時の多少の気まずさから発生するストレスすら受け付けない人々。
公園の遊具は子供が怪我をするかもしれないからと撤去させる親たち。世間の目や過保護すぎる歪んだ愛情で、子供たちから遊び場だけでなく関係構築の場すら奪っている。
ニーズに沿って日本社会はすべてのストレスを排除しようと動いている。金になるからだ。(金にならないマイノリティや女性、弱者たちのストレスは見向きもされないが)
こうしてストレスを事前に排除されてきた人間がどうなるかは想像に易い。社会の餌食になるか引きこもりになるか、犯罪者になる。
ストレスがまったくない人生というのは同時に張り合いや生きがい、生きる意欲を削ぐ。
ストレスがまったくない人生を求めることは人との心の繋がりや絆も奪う。
他人と関わるということはそれ自体が「自分が変わる」ことであり、喜びでもあり、ストレスの源であるわけだから。このまま行けば日本はますます人の関わりが希薄で排他的な冷たい国になっていく。
現に人種差別の扇動が以前にも増して過激になっていることは日本に住んでいる人なら目の当たりにしていると思う。
それは外国人だけでなく当然、日本人にも矛先が向くようになる。まずは老人や子供や女性、弱者男性といった弱い存在から排除されていく。
奇跡はたまに起こるから奇跡なのであって、それが頻繁に起きれば日常でしかなくなるように。すべてのことは慣れてしまう。必要なストレスも奪われた人間は生きる意欲を奪われ、生きたい理由を見失い、生きること自体がストレスになっていく。
それにも慣れるとすべての気力を失って、犯罪でも犯すか死んでしまう。
では、こんな社会でどう生き抜いていけばいいのか。どう気力を保って健全に生きていくことができるか。
自らストレスを取りに行くしかない。
耐性がなく社会の餌食になる前に。
ストレスに怯えて引きこもりになる前に。
破壊的にストレスを求めて犯罪者になる前に。
社会や他人から与えられたストレスではなく、自分でストレスを選べるようにならなくてはいけない。
それが今の日本社会に殺されない唯一の生き方であり、主体的に生きる、「自分の生き方を決める」ということだ。
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