「努力」からの卒業
「もっとサボれ」
ということを私はこれまで何度か伝えてきたが、これからは本格的にその必要性が出てきたみたいだ。
最近、Hというジジイが「努力しないお前らが悪い」という発言をして物議を醸していたが、その考え方はもう古い。あたまの中を整理するためにも私の考えをつらつらと書いていきたい。
まず仕事とは、問題解決をしたり、生活に必要なものをつくるために仕事が生まれるわけだが、今はモノやサービスは溢れてかえっている。そして余ったモノや食料はゴミになって捨てられている。
なぜこのような悪循環が起こるのか。それは、人が働きすぎだからだ。
専門的に解説してくれている人はたくさんいるから調べてみて欲しい。(私はいま『アナーキスト人類学のための断章』デヴィッド・グレーバー著を読んでいる途中だ)
最近は日本でもデモやストライキが盛んになってきて、個人的にはとてもワクワクしている。日本全体の意識が少しづつでも着実に変わっているのを肌身で感じる。
デモやストライキは労働者の権利だが、「サボる」ことに関してはなぜか日本人はとくに敏感に嫌悪感や抵抗を感じてしまう。
「サボる」の語源は「サボタージュ」。フランス語で、会社側に要求を通す労働争議の一種を意味し、サボるのも労働者の権利のひとつだ。
なぜ日本人はそういった権利を行使せず、肥して仕事をしない政治家にさらに金を渡し、せっせと血と汗を流しながら働くのか。
理由は山ほどあげられるが、なによりもまず、サボることはいけないことだと刷り込まれている。生産性のないことは悪だとすら思い込まされている。休みの日もムダな時間を過ごしていると罪悪感すら感じる。
まさに働くための完璧な駒だ。人間ひとりひとりが生産工場、消費する機械として扱われている。
「だけど努力をしないと人は成長しない。」「社会も発展しない。」「生活できない。」
と思うひとは多いだろう。本当にそうだろうか?
日本のGDPは、働かない大国と言われているドイツに抜かれて4位に転落した。さらに日本が衰退していき貧しくなっていくことは政治や経済に詳しくない人でもすでに察しているだろう。
一人一人が頑張って努力をしても、いまの社会の仕組みが搾取をする構造なのだから、いくら努力をしたところで一部の人間に吸い取られて利用されてしまう。だからみんながサボるしかない。だからその構造を変えるしかない。
こういう話をすると社会主義だの共産主義だの言われるので、今日はこの辺にする。
一応言っておくが、私はなに主義でもない。一人一人が、(というか私が)より豊かで幸せになる選択や考えを伝えているだけなので勝手なカテゴライズはやめてもらいたい。
今日は少し堅い話になってしまったけれど、この「サボり方」や「マインド」がサボることに慣れていない日本人にとってはまた厄介で、頭を抱える大きな課題だ。
そのあたりは後日、改めて書けたらと思う。(サボるかもしれない)
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