「色のある人」は魅力的だ
実家のテーブルに『透明を満たす』というエッセイが置いてあった。つい最近問題になった中居正広の被害者になった渡邊渚さんのエッセイだ。
中身は読んでいないが、きっと本質的な内容が書かれているのだろうと直感した。いいタイトルだと思った。
昨日は国際女性デーだった。
女性の人権や、フェミニズムやジェンダー、さまざまなポストがタイムラインに流れてくる。目を通していると、女性がいかに虐げられて生きてきたのかがまざまざと伝わってきて、心が掻き乱され怒りが湧いてくる。
怒りはつねに持っている。ただその感情だけを大事にしていては、目の前の現実が雲ってしまうので表面には出さない。だけどつねに怒りは持っている。持っていなくてはいけないと思う。
それは女性差別に限った話ではない。今の日本政府の酷い政策。国民を嘲笑う官僚たち。貧困や差別で喘ぎ苦しむ人。心の病と葛藤している人。今夜にも死のうと考えている人。
こんな劣悪な社会に怒りを持っていない人のほうが異常だ。
たまに、怒りで咽び泣きそうになる時がある。それでも、生きていくためには現実を一旦受け入れ、そして日常の中で見つけた美しさや嬉しさを感じていかないといけない。
世間ではエゴや欲は無ければないほうがいいとされている。それが人の目指す道であり、悟りであり、幸せであると。そんなわけあるかい、と私なんかは思う。
悟りを志していない人であっても、我を出すことは醜いことだと思っている人は多い。とくに日本人はそういうことにおいてとてもストイックだ。(世間に対して臆病とも言える)
昔はそれが生きる術として必要だったのではないかと思う。戦争や疫病、飢餓が多い時代に、死が日常的に当たり前にある生活でまともな精神で生きていくために、我や欲をなくす生き方はひとつの処世術だったのではないだろうか。
「透明になりたい」
過去にそう言ったクライアントがいた。
「透明が好き」
そう言ってガラスを嬉しそうに眺める友達もいた。
透明は美しい。透き通っていて、どんな色にも染まり、またどんな色にも染まらない。
この日本には透明のような女性がとくに多いように思う。軽やかで、風のようで、優しくて、どんな仕打ちを受けても笑顔で耐えている。どんな汚い色に侵されても彼女たちは染まらない。
そして私も、透明を目指していた人間のひとりだ。
それは透明であることが何よりも美しいことだと思っていたから。そして、こんな汚くて醜い社会にも染まらないで強く生きていられるから。
だけどそれは同時に、欲や我を持たず、怒りを出さず、この世界で何色にもなれない存在になることなのだと思った。
透明は美しい。だけど私たちは今、自分の色をはっきりと塗り変えていかなくてはいけないのではないかと思う。
透明な存在は、どんな色にも染まることはできるが、それは自分の色ではない。背景や対象がいなくてはいけない。
それなら自分で絵の具やクレヨンをとって、自分の好みの色を選んでいくほうがいい。時に白になったり、青になったり、ピンクでもいい。混ざったり、汚い色に侵食されて、べつに黒になってもいい。違うと思ったらまた洗い流して塗り直せばいい。
その色を嫌いだと言う人がいても、好きだと言ってくれる人が必ずいる。
誰が見ても透明は透き通っていて美しいかもしれない。だけど透明な人間であることよりも、きっとそれは彩りのある人生で、なにより色のある人は魅力的だ。その色は、紛れもなく純粋な自分自身の色なのだから。
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