弱くて脆いことは、強さに勝る

小さいという概念は、そのものが発するエネルギーの総量とイコールではない。
阪本明日香 2024.08.28
誰でも


深夜2時前にこの記事を書いている。 変な時間に寝てしまって眠れない上に、なぜか0時になるとWi-Fiが切れてしまう今の宿では、本を読むか文章を書くくらいしかやることがない。だからとても変な時間に公開してしまった。

今はメキシコのオアハカにある草原に滞在しているのだが、一面が自然しかなく、聞こえてくる音は番犬の鳴き声か鳥の囀りだけ。買い物に行く途中には馬や牛がところどころにいて、道には川が流れており、橋がかかっていないので渡る時に靴下まで水浸しになる。笑

お湯は太陽光であたためているためなかなか出て来ず、3日くらいシャワーを浴びれない日があった。

まず日本ではありえない、これまで過ごしたどんな場所よりも不便な環境にいる。

「そんなに不便なんて可哀想...」とか思った人もいるだろう。

だけど、私はあえてひと気のない不便な場所を好んで滞在している。

その理由のひとつは以前「私たちは、自分で自分を殺している。」で書いたので割愛するが、私はこの「可哀想」という感情がとにかく納得いかないし好きじゃない。一体何を持って、どのような立場で可哀想と感じているのだろうか?

当然「便利の方がいい」という前提で思っているのだろうが、それは不便であることの豊かさをなに一つ知らないからだ。

可哀想という感情はあきらかに自分と対象を区別していて、自分のほうがいい状態だという立場からしか生まれてこない。

とはいえ、私も「可哀想」という言葉を使うこともある。ただしそれはあくまでもその場で傷ついた相手を癒すための言葉選びとして使うのであって、存在に対して使うことはまずない。

可哀想という言葉は、憐れみや同情、救いたいと思う感情という意味があり、これらの意味からしてもその場で傷ついた人を癒すためにはとても適切な言葉だ。

ただ存在に対して可哀想だと思うことは、それは呪いになる。

可哀想とされてしまった対象は、ずっと可哀想な存在でいなくてはならないという恐ろしい言葉でもあるからだ。

例えば私はメンタルセラピストとして何人もの悩みを抱えたクライアントと対面してきたが、これまで一度たりとも可哀想だと思ったことがない。言葉に出してこともなければ、心で思ったこともない。

彼女(彼)らは少なくともなんらかの問題を抱えていて、大きな病を持っている人だっている。生きることに絶望して死にたいと思っている人もいれば、理不尽な目にあってひどく傷ついている人も少なくない。

それでも、私は決して彼女たちを可哀想な存在だとは思わない。

なぜなら彼女たちが抱えているその問題も、その傷も、悲しみも、寂しさも、苦しみも、彼女たちそのものだからだ。

その存在を可哀想と形容してしまったら、彼女たちは永遠に被害者であり、永遠に悲しみ苦しみ続ける「可哀想な存在」でいなくてはならなくなる。あなたも経験があるだろう。優しいね、いい人だね、と言われると優しくない正直な態度をとることを躊躇してしまうことが。

他人が自分をどのように形容するかによって、自分自身が縛られるということはよくある。

だから彼女たちは決して可哀想な存在などではなく、ただこの理不尽な社会で生まれ、不運に見舞われただけだ。そしてその受けた傷は、永遠に残るものなんかじゃなく、必ず乗り越え、自らの一部として、より強く自由に生きていくための糧となる。

弱くて、小さくて、社会から排除されてしまうような存在も、決して可哀想なんかじゃない。

弱くて脆い、小さな存在は、強くて頑強で、大きな存在とは別の力を持っているからだ。

小さいという概念は、そのものが発し得るエネルギーの総量とイコールではない。

『フラジャイル』の著者、松岡正剛さんは「弱さ」のことをこのように言っている。

「弱さ」は「強さ」の欠落ではない。(中略)部分でしかなく、引きちぎられた断片でしかないのに、ときに全体を脅かし、総体に抵抗する透明な微細力をもっているである。(中略)

フラジリティは大抵の場合強靭を否定し、つねに強制をいささか離れようとするが、フラジリティを捕まえて抑制するのは厄介である。フラジリティは壊れやすいくせにやけに柔軟であり、破損を好むくせに消滅がないからだ。それはつねに部分性であろうとするからである。
『フラジャイル』松岡正剛

それをナシーム・ニコラス・タレブは「反脆弱性」という言葉で表現した。

タレブは、いつ何が起こるかわからないこの予測不可能な時代は「反脆弱」でいないとまず生き残れないという。

反脆さは耐久力や頑健さを超越する。耐久力のあるものは 、衝撃に耐え 、現状をキープする。だが 、反脆いものは衝撃を糧にする。この性質は 、どんなものにも当てはまる。地球上の種のひとつとしての人間の存在でさえ同じだ。
『反脆弱性』ナシーム・ニコラス・タレブ

弱い存在は脆く、可哀想に見えるかもしれない。だけど今日まで生き残ってきたありとあらゆる自然界のシステムの中で、強くて頑強だと思われていたものはすべて崩壊して絶滅してきた。恐竜は全滅し、百獣の王は今まさに絶滅危惧種とされている。

いつだって生き残ってきたのは、弱くて脆いものたちだった。

強さという概念も、可哀想という言葉も、結局人間がつくりだしたものでしかないのだから。

だから私は、いつまでも弱いものの味方であり、そして私自身も弱いものであり続けたい。



先ほど外に出たら、満点の星空が信じられないくらい綺麗だった。一瞬だけど蛍や流れ星も見れた。


こんな景色、煌々と街灯が立ち並ぶ便利な街では、絶対に見れないよ。

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