日本の親は狂っている
なにか書きたいけれど何から書けばいいかわからない。と言って書き始めるとだいたい書くことが思いつくから、くよくよ考える前にとりあえず「やる」のはなにより大事だと思う。
頭が整理されているから言葉がでてくるわけではなく、言葉にするから頭が整理される。自分のことを理解しているから言葉にできるわけではなく、言葉にするから自分のことが理解できるようになってくる。
文章を書く時はなにを書くか決めてから書く人が多いと思うが、なにを書きたいか最後までわからないときこそ書くことに意味がある。
無意識に眠っていることを現実に可視化するには、言葉にするのがもっとも有効だ。
昨日、私は足の小指をぶつけて悶絶していた。いつでも出れるようにと、荷解きをせずにずっと開けっ放しにしているスーツケースの角にぶつけた。
私はいま、人生で一番窮屈な環境で生活している。実家である。
田舎で、電車に乗るのも車で数分走らなくてはならず、徒歩で行けるのはコンビニか田んぼくらいしかない。しかも私は運転を10年以上していないので、ろくに車も乗れないときた。
これほど長く実家で過ごすのは高校生以来で、いい年をして親にチクチク言われたり、家の暗黙のルールに従わなくてはならず、いつも以上に気を使っている。
牢獄にいるような気分だ。
実家で安心して落ち着ける人というのは、とても恵まれている。そういう健やかで幸せな家庭に憧れる人も多いだろう。
洋画やネトフリのドラマなんかを見ていても、親子関係があまりにも日本の家族観と違っていて感情移入ができなかったり、父親と娘のストーリーを描いた大人気の『アフターサン』もA24が手がけているので観てみたいと思うが、どこか冷めた感情が邪魔をして再生ボタンを押す気にならない。
暖かくて安心できて無償の愛を注いでくれる「親の愛とはこういうものですよ」という押しつけがそおかしこに溢れていて、冷めてしまう。自分には、本来与えられるはずだったものが与えられなかったのだという劣等感を感じさせてくる。
たしかに、今の日本の親たちは狂っている人間が多い。
息子を彼氏呼ばわりするバカな母親だったり、モンスターペアレントだったり、はたまた子供が怪我をするから公園をなくせというバカ親までいる。