日本にいると悟りを開きそうになる
日本はつまらない。日本の男もつまらない。だけどつまらないことは悪いことではない。退屈で変化がなく、刺激のない日々を味合うのもまた一興だ。音楽を消して鳥のさえずりに耳を傾けるように、スマホを置いて川のせせらぎを眺めるように。そんな時間も人生には必要だろう。
だけどずっとは疲れる。1日中、川のせせらぎを眺めていられるか?毎日変わりなく、鳥のさえずりを聴いていられるか?それで人生が満たされるほど私は熟年者ではないし、悟りを目指している修行僧でもない。
日本にいたら気を抜くと悟りを開きそうになる。退屈すぎて内面と向き合うしかやることがない。内面と乖離するように日本社会はなにひとつ変わらず、もうどうでもいいかとすべてを放棄したくなる。
だから私はまた海外に出ることにした。最初にいく国は決まっているがそのあとはまだ決めていない。なにが私をそこまで突き動かすのか。なんにもない東京にも探せば刺激はあるし、退屈な日本を好きな人はたくさんいる。それでもなぜわざわざ外に出ようとするのか。
好奇心という使い古された言葉を用いれば簡単だが、もっと個人的な感覚で言葉を選ぶなら、ここには「感情がない」と感じるからだ。
ありきたりな共感と同調がベースのコミュニケーション、そして異端や未知を許容することができない文化的価値観。自分の知らないことがあると、無知であることを隠すために相手をマウントしたり、無理やりカテゴライズしたり、わかった気になってとりあえず同調したりする。
一人一人の世界が狭い。うすっぺらな感情しかない。
日本は感情表現が他の国と比べて希薄であるし、察する文化や建前を重んじるコミュニケーションが主流なので仕方ないのは理解できる。だからこそ「自分の内面を侵されない」という安心感や安定感もあると思う。
でも、人生が安心安定だけであれば、一体なんのために生きているのかわからなくなってしまう。安心しかない環境は、自分や相手も一切変わることもない。世界観が広がることはなく、新たな感情や新たな自分を発見することもない。
最近私は「マイクロキメリズム」という概念を知った。
これはある個体の細胞が、遺伝的に異なる別の個体(例えば、妊娠中の母体と胎児の間)の体内に長期間存在し続ける現象をいう。妊娠したことない個体でも、親の細胞、または祖母や祖父の細胞、さらに遡った祖先の細胞まで、自分の中で生きているかもしれないという。
近年の医学で注目される「マイクロキメリズム」は、同じ遺伝子を持つ細胞が2つの体内で同時に成長する現象だ。 兄姉や母方の祖母、自分の母が生まれる前に祖母が生んだおじやおばの細胞さえ、私たちの細胞と同じかもしれない。 この現象はごく一般的に起こりうるものでありながら、体に及ぼす影響についてはいまだによくわかっていない。
まだ影響はよくわかっていないが、有力な説としては、胎児の細胞が母体に浸透すればするほど、胎児の細胞を受け入れやすくなり、流産など出産のリスクを減らせるというものがある。
確かに言えることは、私にもあなたの中にも自分じゃない細胞が生きていて、体内から支えているということだ。
「マイクロキメリズム」を知って、ささやかだけど確実に、この事実は私のアイデンティティに変化をもたらした。自分ではない細胞に内面だけじゃなく体内を侵食されているかもしれないという事実に、なぜか深く安堵した。
自分を大事にしろとか、自分を愛せ、などと言われても感覚的に理解することは難しいが、自分の中に自分だけじゃない存在がいると思えば、もっと自分を労ってやろうという気になる。
そして、その私じゃない細胞に、もっといろんな世界を見せてやりたいと思った。窮屈な世界を広げてやりたい。知らない感情や見たことない景色をもっと見せてやりたい。建前や、表層的でない本当のものを。
悟りを開くのはその後でも十分だろ。
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