今にも消えそうな「本当の自分」を、普遍的なものにするために
「個性」や、「本当の自分」という言葉が教育機関や自己啓発本などから謳われはじめてから、私たちは個性的であることが善いことなんだと信じて疑わなくなった。
今、若い人たちの中には「オタク」になりたがる人が増加しているらしい。それも従来のオタクのイメージではなく、ファスト映画やNetflixを倍速で見たりするような、タイムパフォーマンス至上主義な「オタク」だ。
手軽に、インスタントに、「自分だけの個性」を求める人たちが増えた結果、多くの若者たちがオタクなりたがろうとし、没個性的になっている。
「個性美」の大量生産。個性的であろうとして、個性を失っているのは、まことに現代的矛盾である。」
自分とはなんなのか。個性とはなんなのか。「本当の自分」はいるのか。
そんな話を私は過去のYouTubeや文章でも話してきたが、結論からいうと、『本当の自分は、いるけど、いない。』ということ。
「本当の自分」にするのも、しないのも、自分次第なのだ。
仕事の自分は本当の自分じゃない?友達の前の自分は本当の自分じゃない?そうだろうか?であれば、どこに本当の自分、自分の個性はあるのだろう。
本当の自分という名の個性は、形がないし目には見えない。普遍じゃないし、実在もしない。だけど、『「今の私は本当の自分じゃない」と感じている自分』はいる。そんな今にも消えそうな曖昧な感覚を、誰でも一度は感じたことがあると思う。
人は環境や関係によって変わる。親の前では仕事の自分が出てこないように、友達の前では恋人といる時の自分が出てこない。そのように、環境や関係によって自分を使い分けている。
どれが本当の自分で、どれが本当の自分じゃないのかなんて、誰にもわからない。
だけど、はっきりと「今の自分は本当の自分じゃない」と感じる時がある。こんな自分は大嫌いだとはっきり感じる時がある。
その感覚は一体どこからやってくるのだろう?